こんにちは。会いたくなかったです。
今週は土曜から連休だったのだが、ちょうど雪も土曜からで本当に助かった。
もうその雪も路面のとこは溶けてしまったが。
地方民だから車が移動手段として必須なので、雪の日は極力走りたくない。
雪国なんかは皆、慣れてるからちょっとの雪じゃ通常運行だろうが、こちとら違う。
この前の雪の日も、追突事故を出勤中に多々見かけた。
しかも、道路は積もっていない。日陰の路面が少し凍結してる程度だ。
この程度で追突事故とかされるのだから、こっちからしたら出たくない。
自分がいくら気をつけて運転していても、周りの車に事故られる可能性がゼロではないからだ。
しかも、自分はまだスタッドレスタイヤをしていない。関東民からしたら雪は1日とかしか降らないから、スタッドレスタイヤに変えるか迷うのである。
折角、寒い中タイヤ4本も交換したのに、1日でも役目を終えられたのでは何とも無駄な労力を費やした気がしてしまう。
いや、意味はあると思うし、それで事故を回避出来たのかもしれないけど、そういうのは実際に事故ってからでないとなかなか思えない。
結果論ってやつだが、こういう時こそ未来が見通せたらと思う。
あまり先が見えすぎていても退屈だし、未来に影響を与えすぎてしまうだろうから、せめて10分〜30分先を見通せる力がほしいなと思う。
そのくらいだったら、気をつけていれば周囲に勘づかれる心配もないし、超便利だと思う。
例えば何かを落として物を壊すとか、交通事故とか、怪我って10分くらい前から見据えられれば回避できるからだ。
そしたら、不慮の事故もない。
何なら、気に入られたい人に声かけるのだって結果が分かっていれば対応策を練られる。
まぁ実際にはそんなことはできないのだけれど、恐らく誰もが人生で1度は考えることなのではないだろうか。
まぁきっと、できたら できたで何かしらの不都合がでてきて、それが人からしたら良いなぁと思えても、当事者からしたら人の気も知らないでってやつになるのかもしれん。
どうも暇でやることがないと、こういう不毛なことを考えてしまうのはどうなんだろうか。
自分は、あまり頭が良くないのだが、以前、理屈っぽい考え方をする国立理系卒の人と話していて、その人は不毛な話が大嫌いだった。
だから、話していて、よくそのことを指摘された。
例えば、「もし、あなたが〜だったら、こう〜だったかもしれないですね」みたいな話だ。
あとは、自分が本やTVなどの媒体で得た情報を話しても、それは私の実体験に基づく話ではなくて、他から得た情報だから、追求に限度があり、私自身と話す意味が無いということである。
つまり、そういう話はわざわざ私と話さなくても他で得られる情報だから〜ということなのだ。
この考え方は今まで私にはなかったことだったし、当然そこまで考えたこともなかったから驚いた。
それでは、自分の実体験以外は話せないではないか!と思うと同時に、その瞬間、自分が話せるレパートリーが極端に少なくなったことにまた驚いた。
自分がなんて浅い人間なのだろうと思った。
確かに「それ、この前TVで誰々が〜っていってましたよ。」や、「何とかは〜っていうことらしいですよ」っていうのは、ソースを元に話しているから説得力はあるかもしれないが、何となくつまらない。
人の話ばかりしている人は、その人自身の魅力を下げているようにさえ思えてくる。
誰かと仲良くなるためにする話術は、上手く聞き役に回る、いわゆる聞き上手になることだと言われている。
それは質問責めにするということではなく、ある程度は自分の話もする事が、相手に好意を伝えるという意味で重要で、確かに人伝に聞いた話とかよりも実際に自分が体験したことから考えた事とかを話した方がより深く話せて、かつ相手の関心を得られると思う。
こうやって、たまに自分と考え方の違う人と話すと、こういう気づきを貰えるから良い。